両親は80代後半で、幸いまだ介護は必要ない状態だが、時々訪ねて何か不自由なことはないか聞き、できる範囲で面倒を見てあげないといけない状況になってきた。これまでは年に数回実家に帰っていたが、退職した現在はもっと頻繁に親の顔を見に帰ろうと思う。
毎回親は、私が行くのを楽しみに待っており、灯油缶の漏れや、大きくなった木の剪定、重たい肥料などの買い出しを頼んでくる。もちろん私と話が出来るのが一番の楽しみだと思うが、歳とともに行動範囲も狭くなり、楽しみも減ってきていると思うと、可哀そうというより悲しい気持ちになる。
自分も老後の年代になり、親の気持ちも十分理解できる年齢になった。他愛のない世間話や愚痴のほかにも、これからの将来のことも少しづつ話すようになった。例えばお墓をどうするのかなど。幸いお墓は土地は買ったものの、墓石を立てていないので、私の代は墓の面倒を見ることはできるが、子供達には頼めないので、今の墓の土地は返却して、永代供養の樹木葬などを考えたらどうかと話をした。親も考えていたらしく、すんなりと理解を示してくれた。
親との関わりは、楽しいことばかりではないが、これから残された時間は確実に少なくなっているので、楽しいかどうかではなく、楽しいものにしなければと思っている。